今日のゲストは、実業家、カリフォルニア州弁護士、タレント、大学客員教授と、幅広く活躍していらっしゃるケント・ギルバードさんです。1971年に19歳で初来日して以来、MBAやカリフォルニア州の司法資格を持っていたかかわらず、ひょんなことから日本でタレントとして活動をはじめます。当時はとても大きな決断だったそうですが、テレビをはじめとするメディアで日本国内外の状況を的確にとらえた意見を残し、多くの書籍を出版、日本の大学で教鞭を執るなど、人生の約4分の3を日本で過ごしてこられました。今回は、日本の英語教育にも携わり、自身も一から日本語を習得した日本語学習者としての経験談、そして国際的な視点から見た日本と日本人についてお話しいただきました。
今日のゲストは、NFLのプロチアリーダーとしても活躍され、現在はモデル・ボディメイク管理栄養士・チアダンススクールの代表として幅広く活動されている曽我小百合さんです。小百合さんは3歳でバレエを始めたのちチアリーディングに転身、栄養管理士や社長秘書として働くかたわら日本で社会人チアリーディングチームに所属していらっしゃいましたが、30代半ばで日本に全てを置いて、アメリカの最上位に位置するプロアメリカンフットボールリーグ・NFLの専属チアリーダーへの挑戦を決意します。「英語」という言葉の壁があるにもかかわらず、アメリカでの練習中の前十字靭帯断裂とその後のリハビリ、次なるオーディションの準備の中での難病発見など、普通なら夢を諦めてしまうほどの試練が小百合さんを襲い続けます。しかしその柔らかい雰囲気からは想像できない強い意志と努力で、幾度とないチャレンジの末、日本人として初めてプロチアリーダーとして活躍するチケットを勝ち取りました。数々の逆境の中どのように夢を叶えるまでに至ったのか、そのマインドセットをシェアしてくださいました。
今日のゲストは、現在東京とアメリカを拠点にフィルムディレクターとして活動する肥留川宇志さんです。肥留川さんは一度は物理学を専攻し大学に進学しますが、3ヶ月で中退し、ものづくりを専攻するため京都造形大学へ入りなおします。大学中退と編入、卒業後の2年間のプロダクション勤務、そして10年間のフリーランス活動の末の起業など、ご両親からの反対や心配もあったそうですが、7年前の生死をさまよう大事故をきっかけに活動拠点をアメリカへ移すことに決め、ついにこのコロナ禍で移住を敢行しました。今回のインタビューでは、紆余曲折の人生を歩んできた肥留川さんがフィルムディレクターとしての挑戦の日々や、アートや広告を通して見た日米の違い、コロナ禍での移住など、幅広いテーマで話してくださいました。
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