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公開日2022.02.26

【日米バイリンガルの本音】見落とされがちな言語の背景

今日の動画では、日米バイリンガルのOlivia先生とJunが、バイリンガルにとっての「母語」についてそれぞれの考えをシェアします。また、二人はアメリカ国内で日本人学校(補習校)とアメリカンスクールの両方に通った経験がありますが、その経験は二人の思考にどんな影響を与えたのでしょうか?

1. OliviaとJunにとって母語はどっち? (00:25)

Olivia先生

私にとって母語は日本語と英語、両方です。なぜなら、生まれた時から母親が話す日本語と父親が話す英語に同じ割合で触れて育ってきたので、どちらも私にとっては母語です。しかし、どちらか一つしか選べないのであれば、アメリカで生まれ育っているので英語を選びます。
幼い頃は母とはいつも日本語を話していて、父が仕事から帰ってくると会話が英語に変わったことを覚えています。ルールがあったわけではなく、意識することなく自然と二つの言語の切り替えを行っていました。

Jun

僕も全く同じです。本来であれば僕も両方と言いたいです(笑)母語の定義には二種類あって、一つは育つ過程で学んだ言語、そしてもう一つが会話の時に自分が話しやすいと感じる言語です。前者の定義で考えると、生まれた時から英語と日本語の二つの言語に触れて育った場合、両方の言語が母語という事になりますね。

2. 二つの言語を意識的に使い分けたのはいつ? (4:29)

Olivia先生

恐らく保育園ぐらいの時から意識的に使い分けるようになったと思います。保育園では先生も友達も全員英語でコミュニケーションをしていたのに、母とだけは日本語で話していることに、幼いながらも気づいたことをなんとなく覚えています。また、母とはずっと日本語で会話をしていることもあり、今でも母に対して英語で話すことに違和感があります。

Jun

二つの言語を意識的に使い分けるようになった時期を思い出そうとしても、子どもの頃の記憶は明確には思い出せません。ただ、無意識的に言語を使い分けていたのだと思います。

3. 子どもの頃は日本語スキルをどうやって維持したの? (6:30)

Olivia先生

小学1年生から、現地にある日本語の教育が受けられる補習校に通いました。小学校入学前は日本人学校などがなかったので、日本の祖母から届くしまじろうのおもちゃや教材、ビデオを見て日本語に触れていました。また、ひらがな表やカタカナ表が壁に貼ってあったので、それを見ながら自然と書き方を身につけました。
小学生から通い始めた日本語の補習校は週2回だけで、それ以外は現地のアメリカンスクールに通っていたたためほとんど英語の環境でした。そのため、必然的に英語に触れる時間が長くなり、言語はもちろん、考え方などもアメリカ寄りになっていきました。

Jun

僕も同じです。祖母が日本から送ってくれたアンパンマンやドラえもんのビデオを見ながら、日本語を自然と勉強しました。僕は幼稚園から小学校4年生まで日本人学校に通っていました。

4. アメリカンスクールの弊害 (9:32)

Jun

例えば、駐在員として3年間アメリカで生活することになった場合、幼稚園や小学生の子どもを現地のアメリカンスクールに通わせると言語は自然と身についていきますが、同時にアメリカ人的な考え方や態度も身に付きます。そのため、日本に帰国する頃にはいろいろな部分でアメリカナイズされており、日本に適応するための切り替えが大変になります。数年間だけ海外で暮らし、現地の学校に子どもを通わせる予定がある親御さんは、言語スキルの成長だけを心配するのではなく、帰国後の影響についてもしっかり考える必要があります。

5. リバースカルチャーショック (11:27)

Olivia先生

子どもの人格形成期、特に小学生、中学生の時にある特定のマナーや振る舞いを一旦身につけると、それを変えることは容易ではありません。また、私が通っていたアメリカンスクールと日本人学校では友達の性格が大分異なっていたため、通う学校や話す人に合わせて自分の性格を変化させる必要がありました。

Jun

小学校4年生までロサンゼルスにある日本人学校に通っていた僕には日本人的思考が身についていたため、5年生でアメリカンスクールに転校した時は、英語を習得することももちろん大変でしたが、言語よりもアメリカ人の友達と遊ぶことの方が難しかったです。若い頃に様々な学校に通ったり、異なる言語や異なる人々と出会う経験をした人や、若い頃にいろいろな国を旅行した経験のある人は適応能力が鍛えられますが、子どもの頃に日本人学校とアメリカンスクールの両方を体験したおかげで、「適応能力の高さ」は僕の強みの一つになりました。

6. 変化しないことが怖くなる (15:57)

Jun

大抵の人にとって変化することはとても怖いことだと思いますが、僕は小さい頃から変化することを求められる環境で育ったため、逆に変化しないことが何よりも苦手です。そして、環境の変化にその都度適応してきたことで、どんな変化があっても「何とかなる」と思えるようになりました。

Olivia先生

私の友人の中には生まれ育った町でずっと過ごしている人もいますが、私はずっと同じ環境にいることは退屈だと感じてしまいます。また不思議なことに、アメリカ人の友達に「日本に引っ越すよ」と言うと、多くの人が「大丈夫?」「日本に行くのは怖くないの?」と心配します。アメリカ人は社交的で度胸があって恐怖心がないと思われていますが、新しい環境に飛び込もうとする人に対して心配するアメリカ人が多いことに、ちょっと驚きますね。

動画レッスン

    
            
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