アメリカで生まれ育った日米ハーフは、自分のことをアメリカ人だと思うのか、日本人だと思うのか、それともどちらでもないと考えるのか?今日は、オハイオ州で暮らす日米ハーフのOlivia先生と、ハーフの「アイデンティティ」について話し合います。
1. 周囲との違いに気づく幼少期 (1:08)
自分がどこにいるか、誰と話しているかによって自身のアイデンティティは変わっていくとOlivia先生は言います。幼少期に白人が多数を占める小さなカトリック学校に通っていた彼女は、自分がほかのみんなとは違うということを強く感じていたそうです。当時の彼女は、自分が周りの子どもたちとは異なるという事実を隠すのではなく、周囲の理解を得るためにあえて強調していたと言います。
アジア人の子どもだという理由でからかわれたり、日本人の母親が作ってくれたアジア料理を馬鹿にされたきも、「これは美味しいんだよ」とうまく言い返して、子どもながらに周囲との溝を埋めようと努力したそうです。
Olivia先生は、成長して公立の高校や大学に進学してからは、自分の視野も大きく広がり、多様性にあふれた背景を持つ人々に出会ったことで、お互いの文化をシェアするようになったと言います。アメリカのことをまだよく知らない留学生の友達にアメリカ文化を教えたり、日米のハーフとして日本を知らない人に日本について教えたりもしていたそうです。
2. 外人扱いをされる幼少期 (3:05)
西海岸で生まれ育ったJunは、幼稚園から小学4年生までLAにある日本人学校に通っていました。日本人学校に行き始めたばかりの頃は、うまく日本語が話せなかったこともあり、クラスでいじめを受けたこともあったそうです。また、見た目がハーフだったため、学校ではいつも“外国人”扱いを受け、馬鹿にされたと言います。小学4年生でアメリカンスクールに転校しましたが、今度は英語が全く喋れないという理由でアメリカンスクールでも常に“外国人”として扱われ、周囲に溶け込むことができなかったそうです。
これらの経験から、学校でいじめの対象にならないように、常に人の目を気にして周りに馴染もうとしている自分がいたとJunは言います。アメリカ人と日本人、どちらのグループにも本当の意味で馴染むことができなかったことは、Junにとってとてもつらい体験で、そのことが原因でアイデンティティ・クライシスに陥ったそうです。
また、Olivia先生は子どもの頃に週1回日本人学校に通っていましたが、普段の生活では母親との会話以外は常に英語を使っていたため、日本人学校での授業に苦労したと言います。国語の時間に音読をしても、日本語を母国語として身に着けている周りのクラスメイトであれば誰も間違わないような日本語のミスをしたり、教科書に書いてある漢字が読めなかったりしたため、いつも嫌な気持ちになり、劣等感を抱いたそうです。
3. 2つの側面の自分を持つこと (7:12)
アメリカ人の友達とだけ長い間一緒に過ごしていると、時折日本人の自分が顔を出し、日本人の友達と遊びたくなることがあるとJunは言います。日米ハーフとして育った子どもは、相手によって英語と日本語を切り替えると同時に、言語の違いで自身の振る舞い方も変えるそうです。
4. オリンピックはどっちの国を応援する? (9:27)
オリンピックの競技でアメリカ人選手と日本人選手が戦っている時は、Olivia先生は日本人選手を応援すると言います。なぜなら、アメリカはいつもオリンピックで多くのメダルを獲得しているため、アメリカと比べて勝ち目の薄い日本を応援したくなるからだそうです。
5. カテゴリーに縛られる必要なんてない (13:05)
日米ハーフのJunにとって、自分がアメリカ人なのか日本人なのかは、結局はよくわからないと言います。アメリカ人といる時はアメリカ人の自分になり、日本人と一緒にいる時は日本人の自分になることは、ハーフとして生まれ育った良さであり、どちらか一つのカテゴリーに縛られる必要はなく、その時の状況でなりたい自分を選べばいいとJunは思っています。
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