日本で留学をしていた時の出来事だった。 留学生活も残りわずか、いつもと変わりなく授業に向かった。 教室にたどり着くと、ゼミの友達が一人で机に座っていたので、隣に座ることにした。 彼とはゼミが同じだったこともあり、留学してすぐに仲良くなった日本人学生だ。 授業が始まって間もなく、右手に握っていたシャーペンが彼の足元に落ちた。 それに気づいた彼はシャーペンを拾い、僕へ返してくれた。 「すみません」 と何気なく呟いた瞬間、思いもよらない返事に驚かされた。 「ジュン、日本人になったね」 一瞬戸惑いながら何故今のタイミングで日本人らしさを強調してくるのかが理解できなかった僕は 「えっ?」 としか答えようがなかった。 彼は次のように続けた。 「だって、アメリカ人はこういう時はありがとうって言うんでしょう」 今までに考えたこともない事だったが、言われてみれば確かにその通りである。 英語では誰かに何かをしてもらう時は謝る 「I’m sorry」 のではなく、感謝の気持ち 「Thank you」 を伝えるのが当たり前である。 その後、「すみません」 と 「ありがとう」 の違いについて色々と考えてみた。 また、日本人がどのように使い分けをしているかにも気を配るようになった。
それぞれの表現を英語から日本語に訳すと以下のようになる。
Thank you = ありがとう ・ すみません
I’m sorry = ごめんなさい ・ すみません
Excuse me = すみません
しかし、もう認識していることだとは思うが、言語はそう簡単に直訳なんてできない。 特に 「すみません」 は直訳してしまうと意味とニュアンスが失われてしまう適切な例であろう。 「すみません」 を 「Excuse me」 に直訳できても 「Thank you」 と 「I’m sorry」 には深い意味が隠されている。 次のような場合、あなたは日本語で何と言うでしょう?
1) 人込みの中を通りたい時
2) 落とした物を誰かが拾ってくれたとき
3) 道端で誰かとぶつかったとき
英語だったら単純に 1) Excuse me 2) Thank you 3) I’m sorry とはっきり表現の仕方が分かれる。 しかし、日本語では1) ~ 3) 全部が 「すみません」 で通じてしまう。 「謝罪」 の気持ちを示すこともでき、「感謝」 の気持ちも表してしまう。 辞書で調べてみることにした。 「謝るとき、礼を言うとき、依頼をするとき」 と定義される。 さらに、「すみません」 の語源も調べてみたところ 「心が済みません」 「気持ちが納まらない」 から成り立っているようだ。
「すみません」 「ありがとう」 どのように使い分けをするのか?
友達に指摘されてから、日本人がどのタイミングで 「すみません」 と 「ありがとう」 を言うのか注目するようになった。 その結果、本当は自分がするべきことを相手にさせてしまったときに 「すみません」 を使うんだと個人的に解釈するようになった。 相手に何かをさせてしまった、手間をかけさせてしまったことに対しての 「Sorry」 の気持ちと同時にそれをしてくれたことに対する 「Thank you」 の感謝の気持ちがこもっているように思う。 従って、落とした物を相手に拾ってもらうときも、会社でコーヒーを出してもらうときも 「私のためにありがとう」 を伝える表現が 「すみません」 なのではないか。
一方、英語では 「Thank you」 と 「I’m sorry」 の意味がはっきり 「感謝の気持ち」 と 「お詫びの気持ち」 に分かれているため、「すみません」 が意味する微妙なニュアンスは一言では表現できない。 和英辞典を引いて 「すみません」 を 「I’m sorry」 に訳してしまうと、アメリカ人を混乱させてしまうことになるだろう。 自分から優しいことをしてあげているのに何故謝る? と不思議な表情で見られる。 そういう訳で、アメリカ人が自分のために何かしてくれたときには、必ず 「Thank you」 で感謝の気持ちを表すこと。 アメリカでは恐縮に思う必要がないのだから。
「すみません」 「ありがとう」 の使い分に実は上下関係がある?!
二つの表現には上下関係があることを日本で仕事をしている時に指摘された。 上下関係を重視しない環境で育たった僕には分かりづらい概念だったが、日本の文化と関連していることから説得力はあった。 基本 「すみません」 は目上の人や先輩に使う、「ありがとう」 は目下の人・自分と同等の立場の人に使うようだ。 勿論、場合によっては目上の人にも 「有難うございました」 と感謝の気持ちを伝える必要性があるが一般的に上から目線を消す為に謙虚な響きを伝える役割を果たしているのが 「すみません」 なのではないか。 実際問題、「ありがとう」 は尊敬語でも謙譲語でもないが暗黙の了解で会社員はこのように感じているのことは否定できないであろう。 僕も実際に日本で仕事を始めて間もないうちに 「お疲れ様です」 「ご苦労様」 には上下関係で使い方が異なってくることに気づかされた。 (当時は部長を真似してみんなに 「ご苦労様」 と挨拶をしてたことに注意された。 笑) 「すみません」 と 「ありがとう」 にも似たような意味合いがあるんだと、今になって感じることだ。
でも、やっぱり 「ありがとう」 って言われたほうが嬉しい
アメリカで生まれ育ったからなのかもしれないが、やっぱり個人的には 「ありがとう」 って言われたほうが気持ちがいいし、自然と相手にまた何か喜んでもらえることをしてあげたくなる。 「すみません」 も 「ありがとう」 も伝えたいメッセージはきっと感謝の気持ちなんだ。 しかし、「すみません」 という表現は決してマイナスな表現だとは思っていない。 アメリカ文化にはないこの曖昧さがとても日本らしくて、ある意味魅力的でもあるように感じる。 但し、人間は率直に感謝の気持ちを伝えられたほうが喜びは大きいんじゃないかな。
この場を借りて、今までHapa Eikaiwaを応援してくださっている読者の皆様、
「ありがとうございます!」
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初めてコメントいたします。とても面白い話題でした。興味深く拝見しました。
淳さんの分析の内容には賛成です。それに加えて、日本にいたときに常々感じていたことは、「すみません」が「ごめんなさい」に代えて使われる場合はその意味合いが軽くなる、すなわち、「すみません」と言っている本人は本当は起こった出来事(ぶつかったのであれ、言われた文句への返答であれ)については大して何とも思っていないけれど、とりあえず「場を収める」ために使う言葉として使われることが多いように感じます(常に、ではありませんが)。「ごめんなさい」という言葉は、多少なりとも心のどこかで本当に申し訳ないという思う気持ちがないと言えないけれど、多くの場合、「すみません」はもっと軽く使える、そんな気がします。もっともこの考えは私の全くの私見で、日本人一般にあてはまるものではないかもしれませんが。でも「すみませーん」と言われて、「本当に済まないと思っているのかしら」と感じることは多々ありました。ともあれ、日本人との交流には欠かせない社交語のひとつですね。
これからも面白いコラム、期待しています!
Yukaさん
コメントありがとうございます!「すみません」の一言、日本語では本当によく使われる表現で、Yukaさんがおっしゃる通り「すみません」の重さがなくなっているのではないかと疑問に思うこと僕もよくありました。アメリカ人は逆に「I’m sorry」と中々謝らないことで知られており、日本人がすぐに謝る行為に対して「本当に申し訳ないと思っているのか?」と思っているアメリカ人も少なくないようです。英語であれ、日本語であれ「言葉」は気持ちを伝える道具なので、真に感じたことをしっかりと伝える必要がありますね。
今後も応援よろしくお願いします!
Jun
いつもおもしろい記事楽しみにしています。
「お疲れ様です」 「ご苦労様」 の上下関係で使いわけに関する記事もぜひ楽しみにおまち申し上げます。
コメント有り難うございます!「お疲れ様」と「ご苦労様」の違いは私が日本にいた時期に、いつも疑問に思っていた事だったんです!いつも「お疲れ様」の代わりに「ご苦労様」と言われていたので気づいたら自分も同僚や上司に「ご苦労様です」と言うようになっていました(汗)後になって「上下関係」の違いであることを当時の上司に指摘され、大分恥ずかしい思いをしました。アメリカ人だったので、多少許されましたが(笑)日本の上下関係はアメリカにないとても興味深い文化だと思います。近い将来、これについて書いてみますね。ご提案ありがとうございます!
今日、初めてサイトにお邪魔させて頂きました。
大変興味深い記事が多く、色々考えさせられました。
「了解しました。」と「承知しました。」も、上下関係で使い分けが必要な言葉みたいですね。
英語にもシチュエーションによって使い分けがあると教えてもらった事がありますが、そのシチュエーションに適した言い方(特にビジネスの場面において)でなければ、まともに取り合ってもらえないものなのでしょうか?
また、謝ることについてですが、友人同士でも謝ることよりも、まずは考え=発言を求めることが多いのでしょうか?
こう感じたのは、日本語というよりも日本文化において、単語にも礼儀を重んじられる傾向があり、私が生活している環境では発言する際にもそれを求められるケースが多々あるためです。
そのため、謝罪の意と感謝の意が混ざり合った言葉を幾分多く使うのではと感じます。
コミュニケーションを図るため、イコール、自分の気持ちや考えを相手に伝えるための一つのツールとして「言葉」があると捉えてるのですが、日本においてコミュニケーションとは、相手の気持ちを汲み取る・思いやることが前提にある気がします。
そうして、発言力が認められるような気もします。
また言葉の中にも、尊敬語や謙譲語等の単語があり、とても複雑です。
謝罪に関しては、友人同士でも起こった事なのですが、意見の行き違いに対し謝られる事がしばしばあり、ただ私には自分の考えを言ったことに対して、何故謝罪するのか理解できませんでした。
そのため確認したところ、「気分を悪くさせたから。」という理由からだったそうですが、それを聞いても理解できず、むしろ謝罪された…させてしまった事に気分が落ち込みました。
また、理解出来なかったために他の方から色々指摘を受け、コミュニケーション・言葉とは何なのかを改めて考えさせられました。
「すみません。」と謝ったり、ハッキリとした物言いよりも相手に委ねた形の自己表現になるのは、そのほうがスムーズにコミュニケーションが取れる現状があるからだと考えています。
日本の思いやりや気遣い・礼儀が、日本の良い所と言ってくれる方たちもおられますが、私には理解できず、そういうのは本当の礼儀ではないとさえ思っております。
協調性も、一人一人が居て成り立つ「集団」ではなく、一糸乱れぬ「団体」行動を求められるため『同化すること』を協調性として捉えられている風潮があるのでは、と感じています。
敢えてデメリットと感じていることを書きましたが、私も「すみません。」よりも「ありがとう。」とハッピーになってもらえるような言葉を贈るよう心掛けています。
乱文、失礼致しました。
初めてこちらにコメントを書かせて頂きます。
とても興味深い、そして深遠な考察をありがとうございます。
今日は、是非、感謝と可能であれば、扱って頂きたい質問について書くため、こちらにきました。
私は今、東南アジア圏に住んでいて、普段は英語を話しています。私の英語レベルは、アメリカ人を含む西洋人に、”You speak good Engrish”と言っていただけるレベルなのですが、初心者でないゆえの超えられない壁を感じて、あちこちの英会話サイトや、英会話学校や、様々な教材を探していました。
そして、たまたまYou Tubeで、ジュンさんのビデオに行き着き、そこからこちらへお邪魔するに至っています。
私の理想は、日本語と英語とを同じくらい理解する方から学ぶことでしたので、ジュンさんのビデオに出会えて、本当に有り難く思っています。提供して頂いている情報や、その提供の仕方も、単にイイネ獲得や、視聴者獲得ではなくて、私たち日本人が英語を自由に話せるようにしてあげたい、という誠実な同情心を感じます(日本語の同情心は、ネガティブな意味ですが、私にはその意図はありません)。
お陰で、他のどなたがなさっている”使える英語表現、英語ではこう言う!”という類のビデオより、頭に滲み入ります。きっと、本当に日本人をよく理解している、あるいは、日本人そのものだからなのでしょうね。本当にありがとうございます。
今回のテーマは、I’m sorry.とExcuse me.の違いだったので、質問の内容は今回のテーマとは無関係になってしまうのですが
I’m sorry.は「ごめんなさい」だけではなく、「残念だ」という意味でも使われますね? それを区別することは可能でしょうか? そもそも何故、「ごめんなさい」と「残念だ」が同じなのか、わかりません。それは文脈による、と言われたこともありますが、どういう文脈なのでしょうか?
アメリカ人の友人が、日本に来た時に、せっかく観光に出ようとした日が土砂降りの日でした。
私は「(せっかくの観光日なのに)残念ね」という意味で、”I’m sorry for the weather.”と言ったのですが、彼女から、”It’s not your fault. You don’t need to apolize”と言われてしまい、困った私は”I feel responsibility because this is my country.”と言ってしまいました。
優しいのね、と返されたものの、心の中はハテナでいっぱいでした。彼女の言うように、天気なんで個人のせいではないので、文脈をどう考えても謝罪と言う発想になることが理解できません。
加えて、英語をマスターするためには、英語の口語表現だけではなくて、話の持っていき方、アプローチの仕方の違いを知らないといけないのだ、というアメリカ人の方の書いた本を読んだことがありますが、そこに載せられていた例が1つだったので、自分で理解するには情報が少なすぎて、理解するには至りませんでした(その作者は既に亡くなっているので、その方に問い合わせることは不可能です)。
その方によると、日本人の話し方は、結論が最後に来るので、日本人が話す時、何が言いたいかわからない、という趣旨でした。
それで、私としては、結論を先に述べてから、詳細を話すようにしたのですが、やはり、状況は変わらず、で、私が話すとアメリカ人の友人の顔には、???が現れるのです。もちろん、日常生活ではそんなに長く複雑な内容はないので、普段は支障はないものの、例えば、何か友人が喜ぶことを伝えようとして、最初に、「あなたきっと喜ぶよ、びっくりするような話があるんだ」から始めて、用意してた話をスタートすると、途中で???になってしまうみたいです。
確かに、日本人のオチは最後にくる、というのは、アメリカ人にはわからないのかも知れないけれど、でも、映画や物語はエンディングにオチがくるのだから、ちょっとくらい話のもちだし方と、プロセスが違っても、解ってくれられるのではないのでしょうか?というか、何がどう違うのでしょう?
I hope I made myself understood.
長々とすみません。
これが、日英の違いなのかも知れないですね。
もしも将来、こうした点を扱って頂けましたら、大変に感謝致します。
ジュンさんのビデオをまだ初めからは観ていないので(飛び飛びに観ています)、まずは最初から観ていきたいと思います。
いつも本当にありがとうございます!