僕の父親は昔から音楽に対して情熱的だ。 20代は仲間とロックバンドを結成し、ドラマーとして活躍をしていた。 アメリカや日本など多くの舞台で演奏していて、当時はプロのロックバンドを目指していたほどだった。 結局バンドは解散してしまったが、その後若手のミュージシャンのプロデューサーとして音楽に携っていた。 そんな父親も今では趣味半分で作曲に励み、数年に1回は個人のアルバムをだしている。 アルバムが出来上がると必ず父親は 「これは今まででベストの作品だ!」 と断言 (笑) そして、自分が作曲した音楽を家族・友達・知り合い、時には BYBの生徒さんにも聞かせ、自信溢れた口調でその曲の素晴らしさを熱心に語る。 そして、それが本当に素晴らしいものであると信じさせてしまうパワーの持ち主である。
僕の母親は、英語の本を出版することが彼女の大きな夢の一つであった。 新聞や雑誌などに無料で英語のコラムを書き続け、いつか自分の本が出版できる日が来ると信じていた。 2004年にメールマガジン 「アメリカ人と雑談できる英語力を身に付けよう」 を始め、2年連続でまぐまぐメルマガ大賞を獲得し、1万人以上の読者が読む大人気のメルマガになった。 これがきっかけで、出版のオファーが入り、2008年には念願の本 「英語で楽しく雑談できる本」 を執筆。 それに引き続き、2010年には2冊目 「今日から始める英語100語日記」 が出版された。 しかし、メルマガで1万人の読者を達成したときも、念願の本が出版されたときも母親はその成果を口に出すことはなかった。 影でコツコツと努力を重ね、自分からアピールするのではなく、周囲からの評価を大事にしていた。
父親のように自分自身の成功を褒め、人前で自己を過大評価する人は一見凄さを感じるが、日本社会では 「自惚れ」 とマイナス面に見られる傾向があるように思われる。 その反面、母親のように謙虚な体制でいることは、アメリカの社会からは 「自信がない」 という印象を与え、相手に疑いをもたらせてしまうことは珍しくないだろう。 では、なぜここまで極端に日本とアメリカの文化は違うのか? 日本人は自分たちがしたことに、誇りを持たないのか? アメリカ人はなぜ自己を高く評価できるのか? この違いについて検討していこう。
アメリカ人
アメリカ人と話したことがあれば共感できると思うが、自分自身の能力や長所、また話しを膨らませることがとても上手である。 当校でアメリカ人の講師と面接を行うときがまさにそうだ。 面接の質問に入る前に、自分のことについて話して下さい、と言うとアメリカ人は今までの経歴や自分の能力について驚くほどよく語る。 具体的な経験話から成果を出した出来事を次から次へと持ち出し、自己アピールをしていく。 なぜ、ここまで自分自身をアピールすることができるのか? アメリカでは強い自己愛を持ち自分のポジティブな側面を強調することが教えられてきているからであると思う。 教育のコラムでも述べたが、アメリカの教育制度は高い自己評価を重視する。 「Encouragement」 を通して子供の能力を最大限に伸ばし、個人の自己評価が高ければ高いほど、勉強も励むようになると考えている。 欠点を意識するのではなく、一人一人が持っている能力と可能性を促進する環境で育つ為、自分自身の肯定的な部分に自然と注目をしてしまう。 その結果、自分自身を甘く見てしまう傾向もあるが、恥ずかしがらずに、自分を高く評価することもできるのだ。 「Self confidence」 を持って肯定的に自己を認識すること、これはアメリカ社会では当たり前のことでもあり、またその人の精神状態が健康であることを意味するのだと思う。 日本人から見ると 「自慢話」 だが、アメリカ社会からだと 「普通」 なのだ。 さらに、ポジティブ面を強調することにより、失敗や批判を認識するのは苦手であると言っていいだろう。 周りや環境のせいにしたり、たまたまアンラッキーだったと納得し、自分を追い詰める傾向はあまりないように思う。 自己評価が高ければ高いほど、自分にそれだけの自信を持っているので、たとえ失敗しても自分のせいだと思わないようだ。
日本人
日本人の場合、まったく逆の傾向が見られる。 日本に滞在していたときによく 「つまらないものですが」 という一言を耳にした。 お土産を相手に渡して 「つまらないもの?!」 アメリカ人だったら、 「なぜつまらないものを買うんだ!」 とイラっとしてもおかしくない (笑) 実際には、かなり豪華な品物が入っていることが多い。 また、自分の能力や性格について批判をしたりする日本人も少なくないだろう。 成功を成し遂げたときは必ず、 「皆さんのお陰で」 というのも日本の習慣。 他の例えを挙げると、英語をNative並みに流暢に話せたとしても 「私は英語を流暢に話せます」 と自信満々に人前で言うことにはかなり抵抗があるようだ。 日本人には自尊心がないのか? そうではないと思う。 まず日本の場合、周囲と良い関係を保っていくことが肝要である。 人々との関係を良くしていくこと=自分の欠点を意識して改善していくことなのだ。 だから、自尊心を高める必要もないし、自己を過大評価する必要もない。 自分自身の長所を重んじるのではなく、短所を改善していくことを常に意識しているのだと思う。 謙遜な態度は建前だよ・・・ と言う人もいるだろう。 もしかしたらそうなのかもしれないが、例えば、名前も連絡先も書かなくてもいいアンケート用紙に、自分自身を過大評価する事はまずないように思う。
アメリカ人と日本人が 「コミュニケーション」 を違う視点で捉えているのではないか。 アメリカ人の場合、「言語」 すなわち喋ることが自己表現に直接繋がっていると考える。 自分の口から発した言葉は自分自身を反映させる方法。 従って、自分の欠点を述べたり、非を認めたりすることは 「私はこういう人なのだ」 と表現していることになるので、否定的なことには抵抗がある。 言葉で表す自己表現が自分自身であるのだ。 一方、日本人の場合、言語はコミュニケーションの手段にしかすぎない。 日本人の場合、言葉よりも行動のほうが重視され、言語の世界よりも視覚や想像の世界で評価される。 だから自分を過大評価しようが、批判しようが、その言葉が自分自身を直接表すものとして捉えていない為、あまり重要視していないように思える。 常に他者との関係をより良くしていくことに努力を注いでいるので、多分自尊心を高揚していく必要性をあまり感じていないのであろう。 アメリカ人と日本人は単に自己表現の仕方が違うだけなのだ。
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