前回のコラムにも述べたようにアメリカの高校に入学して以来、日本語に触れ合う機会がなくなった。 機会がなくなったというよりは、自ら日本語の環境と距離を置くようになったと言った方が適切であろう。 アメリカ人として受け入れられるようになったことが嬉しくて、日本語を喋ることを恥ずかしく思っていたのが当時の気持ちだった。 英語だけに集中をしていたことで無事にアメリカの大学へ入学することができたが、その反面日本語は低下していく一方だった。 必ず日本語で話しかけていた母親に対しても大学に入ってから英語でコミュニケートするようになり、気づいたら自分自身の考えや気持ちを明確に日本語で伝えられなくなっていた。 それがきっかけでもあり、大学3年目を迎えた僕は日本へ一年間交換留学をすることに決心。 幼い時期から短期間で日本へ遊びには行っていたが長くて2週間程度の滞在期間。 僕にとって初の日本生活となった。 この1年で得た知識と経験は自分自身の考えや価値観を大きく変えていくスタート地点となった。 初めて、大人の視点から日本の文化を見ることができたからだ。
大学生活
日本の大学生活を一言でまとめると、「楽しかった~!」 こんな言い方をすると誤解されるかもしれないが、とにかく遊んだ (笑) 勉強どころか多くの学生と接して、積極的にサークル活動から部活、学生同士の集まり会やイベントに参加していた。 何の課題ついて話すのか、笑いのポイントは何なのか、どこで何をして楽しんでいるのか、教科書では学べない人間関係に興味を持ち、限られた一年間で日本の大学生活を実感したかった。 そこで、真っ先に気づいた日本とアメリカの大きな違いは 「歌う VS 踊る」 自己表現の違いにあった。
日本人だったら誰でもは一度は行ったことのあるカラオケ。 若者から年配の方々が楽しむ日本独特の娯楽。 友達同士で遊ぶことになったら、候補の一つとして誰かがカラオケを提案するだろう。 しかし、アメリカ人の若者の場合、多くは 「クラブ」 またはダンスができる 「バー」 を勧める。 ここの共通点は音楽を通して遊ぶことになるが、声を出して音楽を楽しむ日本人と体を動かして音楽を楽しむアメリカ人にはやはり違いがある。 これは文化の違いなのか?
これについてちょっと考えてみた。
日本人とアメリカ人が混ざったグループでカラオケに行ったことがある。 アメリカ人の中には、カラオケが始めての人もいた。 そこで彼らがまず驚いたのが個室であること! 封鎖された自分たちだけの空間に感動していた。 歌い慣れていないアメリカ人はみんなの前で歌うことに最初は抵抗を感じていた。 まずはみんなが歌う様子をじっくりと観察していた。 僕もこのメンバーの一人だった。 日本人はカラオケに行くと暗黙の了解で 「ルール」 が決まっているように思う。
「ルール」 というと堅苦しいので、「カラオケの楽しみ方が決まっている」 と言い直そう。 まず、歌は独り占めせずに、順番を守っている。 歌を入れた人が一人で歌うか、多くても二人で一つの曲を歌う。 その人が歌い始めたら、他のメンバーは歌を聞いているか曲本から歌を探し始める。 その場が盛り上がると歌のリズムに合わせてタンバリンや手拍子で参加する。 そして、大抵の人は座って歌う。 こんなの当たり前の話しではないか? と思う人もいるだろう。 でも、アメリカ人とカラオケに行ったことのある人であれば、同じカラオケでも違った楽しみ方をすることに気づくだろう。 最初に抵抗を感じるアメリカ人は一度マイクを手にすると、カラオケの楽しさを知り、恥ずかしさが一瞬として消えてしまう。 流行っている曲であれば、周りにいるアメリカ人も加わり、みんなでマイクに向かって歌いだす。 歌う人の順番など関係無しに、知っている曲であれば全員で歌いだす。 本当にカラオケが好きになる人は、次から次へと連続で曲を入れることも珍しくない。 結局、自分で歌うのではなくみんなで歌う感覚があるため、遠慮の気持ちはないように思う。 そして、歌を歌い始めると同時にダンスが始まる。 アメリカ人流、新しいカラオケの楽しみ方を生み出したのだ。 この光景を見慣れていない日本人は最初唖然としてしまうかもしれないが、慣れてくるとこのカラオケのスタイルも楽しくなってくる。 歌が上手、下手など関係なくアメリカ人は純粋にカラオケを楽しむ。
日本人がカラオケをすることに対して、アメリカ人が踊ることは文化の違いに意味があると思う。 まず、カラオケはストレスを発散できる一つの場である。 「世間の目」 を常に意識する日本の文化は人と話す時はどちらかというと小声で話す傾向があるように思える。 従って、カラオケで大声で歌える場は、非常に気持ちいい。 また、留学している間に気づいたことだが、カラオケは互いの距離を縮めるためのコミュニケーションである。 カラオケで同僚や仲間と一緒に曲を歌うことにより、親密感が生まれる。 共通の趣味を分ち合うことで人は自然と関係が深まっていく。 その反面、アメリカでは高校のときからダンスパーティーが開かれ、体を動かして踊ることが楽しいと根付けられる。 音楽が流れると自然と踊りだしてしまうのも、ある意味習慣でもある。 だから、アメリカ人がカラオケに行くと、歌うことより体が無意識に踊り初めてしまう。 また、日本と比べアメリカの若者の間に流行っている多くの音楽はダンスミュージックが多い。 リズムがアップビートで歌うというより踊るために音楽が作れている。 こういった曲は、ペースが速いので歌うのも難しい。 一方、日本の音楽はリズムより歌詞が重視されている。 アメリカのように踊る音楽より、意味がこもった歌が売れているような気がする。 聞いている人々も音楽の歌詞に共感でき、自然と口から歌うようになり、カラオケで歌うことへ発展する。
「内」 の文化と 「外」 の文化
もう一点取り上げたい文化の違いは 「内」 と 「外」 の関係。 冒頭でも説明したように、日本のカラオケの特徴はプライベートの部屋にある。 カラオケだけには限らないが、日本人は仲間同士で行動をとることに安心感をもつ。 仲間同士だけで共有できる部屋だから、見知らぬ人の目を気にせずに思い切って歌うことができる。 これが、バーのような公の場で他人の前でカラオケをするとなると、実際に歌う人は減るだろう。 というか、カラオケ文化が今のように普及していないように思う。 カラオケの閉鎖的な空間があるからこそ、日本人は歌うことに抵抗感が少なく、日本の 「内」 の文化を反映している。 その一方、クラブとは解放的な空間。 他人との距離が近く、周囲の人々と気軽に接することができる環境である。 アメリカはこういった設定のほうが楽しむことができる。 「内」 と 「外」 の文化が少ないアメリカでは開放的な空間のほうが好ましい。 従って、バーで友達と時間を過ごすのも友達以外の多くの人々と触れ合える機会があるからである。
歌う文化と踊る文化は些細な相違点かもしれないが、各文化の特徴を著しく表している。 アメリカ人と一緒にカラオケに行く機会があれば、楽しみ方の違いに目を向けてみよう。 同じカラオケでも文化の違いを感じることであろう。
Advertisement
[…] In Japan, singing is a form of bonding: everyone cheers you on, sings along and claps when you finishes. Next to that, it is a way to relieve stress. Of course, karaoke is often combined with drinking alcohol, which really livens up the party. I also read in some articles that the “singing culture” of Japan is often contrasted to the “dancing culture” in America. It is said that in the west, people prefer going to clubs and bars where they can dance. (Hapa Eikaiwa) […]