「すみません」・・日本人が日常生活で最も頻繁に使われている言葉だと聞いたことがある。実際、それが本当かどうかは個人的に深く追求したことがないので断言できないが、日本人が高い頻度で使う表現の一つであることは間違いないだろう。一方、アメリカ人は謝る事に抵抗があるとよく日本人から聞く。日本人だったら素直に謝るのにって思った場面に心当たりがあるのではないだろうか?今回のコラムは日米の「謝る文化」について考えてみた。
日本ではこんな時に謝るの?!びっくり体験
1. サービス業界
今までに、様々な国へ旅行してきたが、やはり日本のサービスは素晴らしい。言葉使いから、お客様への対応、とりあえず常にお客様に対して気を使うサービス精神がどの国よりも優れていると思う。そこで、大きな鍵を握るのが「謝る」ことだ。自分自身でおかした誤りは勿論の事、他の従業員が犯したミスや自分自身にまったく関係ないことでもお客様から苦情を受けた場合、とにかく「申し訳ありません」と謝ってから問題の解決に取り掛かる。アメリカではなかなか見られない光景だ。
石川県にある居酒屋で友達と食事をしていたときだ。繁華街の中心部にあるガラスの壁に囲まれた洒落た2階建てのお店だった。人通りの多い、賑やかな交差点が見える角のテーブルに座り、爽やかな店員さんが外国人の私たちを明るい笑顔で迎えてくれた。煙草が切れした友達は、店員さんに「煙草売っていますか?」と訪ねてみると、「大変申し訳ありません、当店では販売しておりません」と、とても礼儀正しくお辞儀をして謝った。その次にとった行動はみんなを驚かせたものだった。「買いに行ってきます!」と言ったその瞬間、人込みの中を突っ走って交差点を渡る彼の姿があった。お店の向かい側にあるコンビニへ煙草を買いにいったのだ。数分後に戻ってきた彼は、再び「申し訳ありませんでした、どうぞ」と謝り、その煙草を友達に渡したのだ。「Why are you apologizing? You are amazing!(なぜ謝っているんだい?あなたはすごい!)」と当惑した顔で友達は感謝の一言を送った。その後、「誤る文化」について友達同士と議論が始まったが、なぜ彼(日本人)があの場で謝るのかが理解できないまま会話が終わった。
2. 電話を持ちながらお辞儀
国際交流員として石川県に赴任してから間もなく、日本人のある癖に気づいた。それは、日本人は電話で話すとき、頭を幾度も下げて喋る傾向があることだ。挨拶をするとき、承認をするとき、謝るときに自然と頭が下がる。アメリカ人が話すときに身振り、手振りが激しいように日本人はお辞儀を本当によくする。相手が目の前にいないのに・・・と僕は遠くから見ながら思っていたが、謝ることは言葉だけでなく、態度にも著しく表れていたことに注目をした。勿論の事、必ず「お辞儀=謝る」ではないのは自分自身でも認識しているが、電話で「すみません」と発した後、無意識に頭を下げてしまうことは否定できないだろう。
そこで、自身の行動について考えてみた。喋っているときにみんなと同じように頭が下がっているのではないかと?意識し始めて、不思議なことが明らかになった。日本語で喋るとき(特に謝るときは)自然と頭が下がること、そして英語で喋るときは(謝ることも含めて)頭を下げることはほとんどしない(むしろ上がっている)、まさにハーフならではの行動をとっていたのだ。改めて、「文化」「言葉」「態度」は切り離せないものだと自覚した。
3. 謝罪会見
僕は日本のテレビ番組が大好きだ。日本に住んでいた頃はテレビ見ること=勉強だと自分に言い聞かせていたので、毎日数時間は見る完全なテレビっ子だった。7割以上はお笑い番組だったが、朝はできるだけニュースを見るようにしていた。
多くのテレビ番組を見てきたが、最も印象に残ったのは日本の謝罪会見。言葉では上手く表現できない、衝撃的な映像だった。黒いスーツを羽織った、お偉いさん達が細長い机の後ろに1列に並び、「心よりお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした」と一斉に頭を下げ、10秒以上そのポジションを保つシーンだ。まず、アメリカではありえない謝罪の仕方である。
見ている側として、当初は心が痛くなるほど可愛そうに思いながら見ていた僕も、日本生活の月日が2年ほど経つと、謝罪会見があまりにも多いうえに謝罪の仕方がまったく同じだったので、「またか」と冷たい目で見るようになっていた。本当に謝っている側は、申し訳なく思っているのか?世間の目を意識して、メディアを通して謝まらざるを得ないのか?日本人はあのような謝罪会見をみて、どのように思っているのか?サービス業界同様に、とにかく謝まる必要があるのか?日本の謝罪会見を見ながら複雑な心境になった。
謝罪文化
アメリカ人は謝る日本人をどう思っているのか?
日本に住んだことがある外国人、日本人と一緒に仕事をしている外国人、日本と関わりがある外国人に日本人の特徴を尋ねると大体共通の返答が戻ってくる。そのひとつが「日本人は頻繁に謝る」ことだ。特に日本の会社に勤めている外国人は「すぐに謝る」ことについて鋭い指摘をする。それは、口論を避けるため、問題を安易に収めるために謝る。ようするに、申し訳ないと思う「気持ち」より、申し訳ないと「発言」するほうが大事だと思われている。
どういうことか自分なりにも考えてみた。言葉の重さの問題になってくるのだと思う。極端な例だが、英語の「I love you」「愛しているよ」という表現がある。アメリカでは恋人、家族、友達に対して頻繁に使われる表現だ。特にアメリカの夫婦、恋人は毎日のようにこの言葉を交わす。”Love”という「気持ち」を表すよりは “I Love you”を「発言」することが大事なのではないかと思う。
しかし、日本ではなかなか「愛している」と言わないし、逆に言いずらい。それはやはり言葉の重さの問題だ。「愛している」という表現が頻繁に使われないからこそ、言われたときは胸にギュッと感じさせられる。その反面、毎日のように「愛している」って言われたら、同じ表現でも違う気持ちで捕らえるのではないか?アメリカ人が「I love you」を言っている姿を見て、本当に気持ちをこめて言っているのか?と疑っている人もいるのでは?
僕が言いたいことは「謝る」ことも同じなのだ。何事でもすぐに謝ることで「申し訳ありません」の重さ、意味が薄れてしまうのだと思う。謝れば済むという概念から、問題に対して誠実に責任をとり、解決法を考えていないように外国人に受け止められてしまう。結局、僕も謝罪会見を見ながら同じような気持ちになっていたからだ。
アメリカ人は言い訳が多い
アメリカ人はとにかく謝らない!とよく聞くが、日本と比べれば確かにその通りであると思う。日本のように謝る習慣がないからだ。状況にもよるが、見知らぬ人にぶつかったり、人と人の間を通り抜けるときは「Excuse me」とすぐに言うが、「非を認める」ような行為に対してはなかなか「I’m sorry」といわない。これは、文化的な相違なのだ。先程も述べたが、アメリカでは謝ること、「I’m sorry」の一言は重い。謝る=責任を認めることになるので、謝る前にまず弁解が始まる。なぜそのような行動をとったのか、その意図について語ることが多い。また、すぐに謝って「ぺこぺこ」する姿勢をとることによって「弱い人間」として見られることもある。したがって、謝る前に必ず自分の行動についての説明が必要になる。日本人としては、この説明が「いい訳」としてしか聞こえないが、アメリカ人は自分の行動・考えを相手に分かってもらう為に、主張をしているのだ。
前回のコラムにも述べたが、アメリカ社会では「言葉・発言」で判断される。言葉により自分自身を表現するため、自己批判や否定的なことを口にだすのことはなかなかできない。その反面、行動重視の日本社会は言語をコミュニケーションの手段として考えているため、自己批判であり、非を認めることについてアメリカ人ほど抵抗はないように思う。
日本とアメリカでは謝罪の仕方、表し方は顕著に異なる。しかし、重要なことはどっちが良い悪いのではなく、謝罪という行為は文化により様々な対処の仕方があるということを理解することだ。言葉で謝るか謝らないかが大きな問題ではないのだ。その問題に対して、どのような行動をとるのかが重要であるように思う。
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坊主にして謝ることもありますよね。日本は謝罪文化は面白いですよね。日本人からしても確かに面白い文化です。
確か、1年程前にAKBのメンバーが坊主で謝罪したのが話題になりましたね。私もこの行為には正直驚きました。
太宰メソッド
いつも楽しく拝見しています。
私は生粋の日本人ですが安易に謝りすぎな風潮を感じています。
口論に発展することを避けるために事前に弁明することが多い・・・その通りだと思います。
不祥事に関しても、失態をした個人が非を認めて謝るか謝らないか、という点ばかり批判がいき、再発防止の取り組みの実効性についてはあまり議論がされないと思います。
最近、こちらのサイトを見つけました。とっても興味あるトピックだったので
思わずコメントしたくなりました。
San Diegoに3年ほど住んでいたときに、謝るということに対しての捉え方が国によってこんなに違うものかと感じました。正直、はじめは、唖然・・・という感じでしたね。
”言葉により自分自身を表現するため、自己批判や否定的なことを口にだすのことはなかなかできない。”>>とっても納得いきました。
こんちには。コメントありがとうございます。文化や国により、ちょっとした気持ちの表し方って本当に異なります。以前までは「当たり前」だと思っていた考え方も海外にでたり、外国の人と交流することによりそうではないと実感しますよね。言語以上に文化の理解はとても大切だと思います。
ちなみに、I love San Diego too! Everyone is so laid back there!
最近Twitterでですが英語でやり取りすることが増えてきて、よくこのサイトで学ばせて貰っています。(いつも有難うございます!)
たまたまこの記事を読んで、いつものJun先生とは違う、深い一面を見た様な気がします。バイリンガル~数ヵ国語喋れる人は少なくないかも知れませんが、そうした国々を総合的に見て話せる人は殆どいないんじゃないかな?
学びも楽しいですが、またこうした記事も読みたいです!
Funnuさん
いつもHapa英会話で学習していただき、ありがとうざいます。私の頭の中は、かなりごちゃごちゃです(笑)でも、石川県で過ごした2年間は色々な面で本当に勉強になりました。田舎に住んでいたことが自分にとってポジティブな影響を与え、地元の人たちに日本の伝統文化をたくさん教えてもらいました。今後また、何か思いついたら記事を書きますね!
こんにちは、初めまして You Tubeの英会話レッスンからこちらにたどり着きました。
アメリカに住んで10年ほどになりますが、この話題、実はとてもイライラしていたことだったので、とても為になりました。
そうなんです、アメリカ人、謝る前に言い訳が多い!(^^;)
うちの主人がそうで、ごく些細なことでもまずは言い訳からスタートします。
「言い訳キング!」と呼んだこともありますw
他の人でも、まず言い訳、という場面に出会ったことは何回かありまして、
日本人的な感覚で、つい「まずはごめんなさい、でしょう?」と
イラっとしていたわけです
言い訳、じゃなくて、説明、と思えばいいんですね(^^)
順番が違うんだ、そういうことだったんんだ、と
この投稿を読んで、心のつっかえが一つとれたような気になりました
ありがとうございます
この記事でストレスフリーになりそうです。私の住むオランダでもこの課題が非常に自分の中で大きくのしかかってきており、色んな仲良い欧州人に聞いても分析して物事を見ている友人はいなかったのでずっとここ2年ほどモヤモヤしていました。今日から物を新しい視点で見れそうです。ありがとうございます!
私は、生粋の日本人ですが日本人の考える事が理解に苦しみます。
私は、ブラジルとアジア9か国に行きました。
私の個人的な意見ですが日本とアメリカの違いでは、無く日本と世界の違いだと思います。
実際にあった体験談です。
中国で仕事をしていた時に電化製品が使えなくなりました。
でも壊れたないのですなっぜならば違う場所のコンセントに刺すと使えたからです。
原因は、コンセントタップ(3個口)が壊れてしまったからです。
でもそのコンセントタップを見ても外見は壊れていません。
日本でコンセントタップが壊れる原因は、3つあると思います。
1.熱で変形する。 2.踏んだり過度に曲げたりして負荷を掛けて壊れる。 3.差し込み部が壊れる。
熱等で変形したり外見や差し込み部も壊れていなかったので何で壊れたのが今でも判りません。
この話を同僚の中国人に行ったら壊れない物を作る日本人がおかしいと言われました。
そこで初めて日本の常識は、世界の非常識(いい意味で)という事もあると気付きました。
おそらくそれは、日本の建国に関係していると思います。
日本人も知らない方が多いと思いますが日本は、世界最古の国です。
日本の建国は、諸説ありますが神武天皇即位した約2700年前です。
一時的に戦後アメリカに占領されたと考える方もいると思いますが、天皇と日本語が戦前・戦後も途絶えていないので日本が消滅したとは、言えないでしょう。
2番目の国は、デンマークで約1000年前です。
特に特徴的なのが建国の方法です。
そして一番の違いが日本以外の国は、戦争や闘争で建国を経て建国しているが日本が統一せれる時に闘争や戦争の痕跡が無い事です。恐らく話合いで統一されたものと考えられます。
そこで重要なのが「和」です。
ですから日本では、「和」を重要視しているために争いを避けるため自己主張を控えたり謝る文化が出来たのではないのでしょうか。
とは、言いつつ私も日本人は、謝り過ぎだと思っています。
タバコの件については、むしろ買ってきてもらった方は、店員さんが謝った後に「こちらこそ、無理なお願いを言ってしまい申し訳なかったです、ありがとう」と言うのが、日本流だとは思いますね。
基本的に、日本では謝られた方も、「こちらこそ申し訳ない、ありがとう」と返して、お互い様で締めることを理想とするのではないですかね?
まあ、謝らせてマウンティングして支配欲・優越欲を満たす人間も多く、そういった者たちによって、日本の謝罪文化は歪められている点もありますが。