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【1日1フーレズ英語】無料メールマガジン

公開日2013.04.01

働く母親へ。今日も仕事?

睡魔と闘っている中、倒れそうになるところで急に目がパッと覚め、時計を見ると既に午後9時を過ぎていた。 10分前に親が「もうすぐ帰るよ」 と電話で言っていたにもかかわらず、またかけることにした。 「ねぇ、何時に帰ってくるの?」 と同じ質問を投げかけると 「もうすぐ帰るからね」 と聞き慣れていた返事が戻ってきた。 こんな日々が何年続いただろう。 帰ってくる時間が遅いのは分かっていたのに、それでも毎晩、幾度も親の仕事場に電話をかけていた。 寂しかった。。。

幼稚園の迎えもそうだった。 放課後のチャイムが鳴ると駐車場には沢山のお母さんが迎えに来ていた。 でも、そこには僕の母親はいなかった。 「ジュンのお母さんは?」 と友達に聞かれると 「今日も仕事が忙しいからちょっと遅れてるんだ」 と平気な顔で当たり前のように言っていたが、本当は寂しかった。 なぜお母さんは時間通りにこないんだろう、みんなのお母さんは来るのに。。。駐車場から出て行く車を一台一台眺めながら、頭で繰り返される質問だった。

母親の経緯

母親は横浜、横須賀市育ち。 子供の頃は決して勉強が得意なタイプではなかったが、英語には幼いころから感心を持ち、英語はクラスのトップで高校卒業。 高校卒業後、イギリスの大学へ入学し、英語の勉強を続けた。 イギリスでは今まで勉強してきた教材英語とのギャップを痛感し、当時は人前で喋るのが苦手だった為、現地の人とコミュニケーションをとるのに大変苦労したという。 しかし、自信を持って堂々と話す重要さを学び、イギリス大学も無事卒業し日本へ帰国。 日本に帰国して間もなく、私の父親と出合い結婚が決まり、渡米。 しかし、憧れでもあったアメリカは母親の想像をはるかに超える困難な生活が待ち受けていた。

「子供が虫歯になる」

20代前半で僕と妹を産んだ両親は、生計を立てていくために二人で英会話学校 「BYB English Center」 を開校することに決意した。 生計を立てるためと言う方をしてしまうと、BYB English Center が創立した趣旨が誤解されてしまうので、ここではっきり書いておこう。 イギリスでの教訓を生かし、実践的に、なおかつ心のこもった英語教育を現地に在住している日本人に教えていきたいことから創立された英会話学校だ。 だから学校名もあえて School ではなく Center にした。 アメリカで英語を教えることは母親の大きな夢でもあった。 若かった二人は勿論お金に余裕なんてなく、当初はアパートで英会話レッスンを行っていた。 生徒の人数は次第に増え、オフィスにも移動したが、子供二人を養う収入には程遠いものだった。 当事、父は午前7時から9時まで BYB で教えその後仕事に行き夕方また BYB に戻り午後11時まで教えていた。 早朝から夜遅くまで懸命に働く親は、子供の面倒をべビシッターに任せざるを得なかった。 べビシッターを雇うことを決断した母親は周囲から厳しい批判を浴びた。 このことについては、次の段落で具体的に語ろう。 そんな訳で、僕が物心がついた時からべビシッターはいた。 幼い頃はべビシッターの入れ替えは何回かあったが、最終的に10年間ほど世話をしてくれた、第二の母親と呼んでもいいくらいのべビシッター 「Norinaさん」 に恵まれた。

母親は僕たちをべビシッターに預けたことに対して周りの人々から (BYBに通っていた生徒さんからまで) 冷たい目で見られていた。 特に僕がまだ2歳~3歳だった為、「子供が曲がる」 「不安定になる」 「可哀想だ」 とよく言われていたそうだ。 多くの批判を受ける中、母親が今でも印象に残る一言は 「子供が虫歯になる」 (笑)多分、僕と妹が食べるもの・飲むものがジャンキーで不健康になるという意味を含めた一言だったのでしょう。 同じ日本人なのに、サポートどころかいじめの対象になっていた。 現地に住んでいる日本人コミュニティーに英語を通して皆の生活を向上させようと頑張っているのに、非難される。 母親としての自覚があるのかと常に厳しく指摘され続け、母親は仕事に対して、母親であることに対しても考え直し、どん底まで落ち込んだ。

どう振る舞うか途方にくれる中、救いの手を差し伸べたのは私の父親だった。 アメリカで英語を教える夢をあきらめかけていた母親に次のように励ましの言葉をかけた。 「子供は親の姿を見て育つ。一生懸命頑張っている母親の背中をみていれば絶対に曲がることはない。但し、週末・休みの日は子供達に100%以上の気持ちを持って一緒に過ごすことに専念をしろ」 さらに 「子供はいずれ成長する。子供が成長した時にはどうするんだ?」 この一言が、「母親」 として 「キャリアーウーマン」 として母親を変える大きなターニングポイントとなった。 「仕事をしているから子育てができない」 「仕事をしているから子供が不安定になる」、この概念を覆して、働いていない母親よりも頑張る決心がついた。 母親は、このような経験があったからこそ、ここまで頑張れたと今は言っている。 また、不思議なことに兄弟揃って一度も 「虫歯」 はできなかった。 というか、この一言に母親はムキになっていたのか、子供の頃は麦茶しか飲ませてもらえなかった覚えがある (笑)

子供の頃の思い出

幼稚園に入学してからも、周りのお母さん方から批判的な目で見られていたのは変わりなかった。 仕事の忙しさで僕と妹を迎えに来る時間が遅れることがよくあり、担当の保護者からいやみを言われていたらしい。 また、両親が仕事をしていた為、学校が終わってから友達を家に誘うこともできなかったし、呼んでもらうことも勿論なかった。 なぜ、友達に誘われないのか両親の前で大泣きした。 そこで、親は週末にクラスメイト全員を家に呼ぶことにした。 土曜日は僕のクラスメイト。 日曜日は妹の友達。 BBQ パーティーで全員を集め、父親が僕の友達と仲間に入って一緒に遊んでいたので、大好評になった。 そのうち、僕の家で BBQ パーティーをすることが皆の楽しみの一つとなり、さらに友達からも放課後遊びの誘いが増えた。 周りのお母さん方も少しずつ、セニサック家への考え・スタンスが変化しつつ、働く母親を認めるようになってきた。

家族の時間を大事にしていた

子供の頃はとにかく、週末が待ち遠しかった。 土曜日と日曜日は僕と妹にとって特別な日、その日は両親が一日中相手をしてくれ、遊んでくれたからだ。 何をしようが、どこに行こうが、家族全員で行動していた。 海、公園、フェスティバルなど週末は楽しい出来事ばかりだった。 誕生日やクリスマスも毎年盛大なパーティーを行い、プレゼントは山ほど貰うのが当たり前だった。 今こうやって過去の自分を振り返ると親は平日に一緒に過ごせなかった分、休みの日は本当に僕たちと時間を過ごすことに専念していたので、かなり贅沢をしていた気がする。 そして、何より必ず僕たちと一緒に物事を行っていた。 遊び、料理、片付け、旅行等全員が加わっていた。

家族で過ごす時間を重視するセニサック家は僕たちが大きくなっても変わらなかった。 皆が忙しくても最低週1回は必ずファミリーディナー。 ここで一週間の出来事について話をしてコミュニケーションをとっていた。

接する時間の量ではなく過ごし方に意味がある

働く母親は専業主婦と比べて仕事の量は多い。 専業主婦が楽だといっている訳ではない。 子育てから家事で一日が忙しいのは誰も否定はできないと思う。 しかし、働く母親は仕事の傍ら帰宅してから子育てと家事が始まる。 限られた時間で全部こなさないといけない為、効率よく物事に取り計らわなければいけない。 しかし、どれだけ効率よく工夫をしてもどこかで手を抜いてしまったり、誰かが (子供や夫が) 犠牲になってしまうことに罪悪感を感じているお母さんも少なくないと思う。 そして、子供と過ごせる時間はどんなに頑張っても、やはり少なくなってしまうのは仕方がないことだと思う。 しかし、僕の経験から言えることは、母親と過ごした頻度ではなく、一緒に過ごした時間に意味がある。 約束をしてくれたことは必ず守っていたし、「あとでね」 と今できることを先延ばしにしなかった。 一緒に過ごすその瞬間を大事にし、一緒にいるだけでなく一緒に行動することを重視していた。

働いている母親を見て。。。

「可哀想」 と思うのは大人の考えだと思う。 自分の過去を振り返ると寂しかった思い出はあったが決して辛い思いや悲しい思いはしていない。 むしろ、親と過ごした楽しい思い出のほうが印象深い。 今でもそうだが、母親は仕事をしている時が一番生き生きとしていると思う。 自分の好きな仕事をしているからでもあるが、やはりワーキングウーマンなのだ。 若い頃は自分の夢に向かって必死だったから、どんなに辛い日があってもいつも笑顔で僕たちを迎えることができたのだと思う。 仕事のストレスをぶつけたり、疲れていることをいい訳にもしなかった。 もし母親が専業主婦だったら、疲れていても僕たちに同じような笑顔で接することができたのか? それは分からないがこれだけは言える。 母親は子供がいたから一生懸命仕事に頑張る事ができた。 また好きな仕事をしていたからこそ毎日笑顔で迎えてくれていたと信じている。 そして多くの障害を克服してきた 「働く母親」 だからこそ、尊敬できる人である。

母親を支えていたのは父親だ

「働く母親」 にはそれを全面的にサポートする夫の存在は不可欠である。 僕の父親は母親の夢を信じて、終始励ましの言葉を送り、支え続けた。 家事、子供の面倒などすべて父親は協力した。 土曜日に母親がご飯を作れば、日曜日は父親が必ず夕食を作っていた。 家事も分担し、僕たちが大きくなったときには家族全員で協力しあっていた。 「家族」 を何よりも重視する父親は母親に 「自分の人生を生きる」 素晴らしさを教えた。 父親からの精神的な支えがあったからこそ、母親は仕事を続けることができた。 そして、どんな困難な状況に立ち向かっても、物事をポジティブに捉え、自信を持ち、家族全員をリードする 「一家の大黒柱」 である。

「子供は親の姿を見て育つ」

仕事に一生懸命励む両親の姿、母親・父親として育ててくれた両親の姿を見てきた僕って、本当に可哀想なのか? 助け合う重要さ、何事も頑張る精神、ささやかな喜びを感じ感動する心を持つこと、そして親として子供に注ぐ愛情の姿を僕は見てきている。 共働きをする両親がいたからこそ、絆の固い家族になれたのではないでしょうか。

    
            
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コメント

  1. IWAMOTO Hikaru より:

    去年Yokoさんが日本に来たとき、渋谷でのセミナーでお会いしました。息子であるジュンさんのことはその後ウェブ上で知りました。二人のみならず家族全員が素晴らしい思想の持ち主であることをさまざまなコメントを通じて知っています。皆様のこれからの活躍を益々期待したい気持ちです。私の心は何時も応援モードです。

  2. Jun より:

    Iwamotoさん

    初めまして!Junです。コメント有難うございます。渋谷のセミナーで母親にお会いしたのですね。私も近いうちにまた日本へ訪れたいと思いますので、その時にでも母親と共同セミナーをしてお会いできれば嬉しいです。今後とも応援よろしくお願いします!!

  3. Haru より:

    専業主婦の母と、サラリーマンの父の間で育った人もそんなに変わりないよ♪
    お母さんもお父さんも皆、家庭だけ大事にすればいいわけじゃない!

    私も10代で海外に出て、皆自分の娘みたいに大事にしてくれました(^ー^)

    家こそ意味が

  4. Elly より:

    子育てしながら働くママです。
    しかも母子家庭なので、子供の事はいつも気になりながら仕事優先になってしまいます。Junさんのお母さんの気持ちと子供の頃の気持ちがリンクしてなんとも言えない気持ちになりました。その時、その瞬間を大事にしていきたいと思います!
    Thanks a lot

    • Jun より:

      Ellyさん

      こんにちは。母親が頑張っている姿を見て子供は成長します。私も子供の頃は理解できませんでしたが、今となっては本当に感謝の気持ちでいっぱいです。これからも頑張ってくださいね!

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